ゆとり教育

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ゆとり教育(ゆとりきょういく)とは,従来の詰め込み学習内容を以前よりも縮小した教育のこと。日本教職員組合が提起をし,国営企業の民営化を推し進めた中曽根内閣の主導のもとにできた臨時教育審議会(臨教審)で,「公教育の民営化」という意味合いで導入された。(Wikipediaより抜粋)

「ゆとり教育の弊害」という言葉を良く聞きますね。学力の低下はゆとり教育のせいだとか,今の若者が礼儀やマナー,仕事が出来ないのはゆとり教育の弊害だとか。

僕的にはあんまり好きな主張ではないですね。教師や親の教育力不足を政策のせいにしてるようにしか聞こえないですからね。

円周率が3.14から「およそ3」と教える,ってなった(なってるの?)ときもなんかマスコミが騒いでいた気がします。学力が低下するうんぬん。

要するに計算する力が低下するからやけに批判されていたように気がしますが,では計算する力ってなんなの?自分で素早く正確に計算する力のこと?

今や100円で電卓が買えれて,携帯電話にも計算機能がついているのに,どこに自分で素早く計算する必要が出てくるのでしょうか。よっぽどの天才でないとテクノロジーに勝つことは不可能です。

円周率が「およそ3」となったのは,煩わしい計算にとらわれず,思考する能力,創造する能力に時間をかけるべきだ,という主張の一環だと思います。

「Photoshop」や「Illustrator」で有名なAdobeもこう言っています。「クリエイティブはあなたにまかせます。クリエイティブ以外はおまかせください」ってね。

まあ僕は数学教育の免許を(まだ)持っているので,例が数学なだけですが,昔の教育というのは「教科が目的」であったのですが,今は「教科が手段」でなければならないのです。

数学の先生は数学を教えているのではなく,数学を通して生きる力を育てているのです。

小学校で習う「面積」だって,大人になった今,使ったことありますか?もちろん使う職種はあるでしょうが,全員が全員使うわけではありません。では,なぜ小学校で面積を学ぶのか?

それは面積を求めることに通して,「生きる力」を学ぶからなのです(もちろんそれは教科によって違うし,算数なら「面積」と「計算」など単元によって違いますが,詳細は割愛します)。

ばかばかしい,と感じた人もいるでしょう。まあわかります。世間が結局は「学力主義(試験の点数主義)」ですからね。大学に入るためにテストの点数が必要。これが変わらないと教育が変わんないですからね。

世の中が学力主義であるから,これに外れたものは「ゆとり」とバカにされる。悲しいですね。学力が突出しているものが良い大学に入って,その人たちが国を動かしていて,今の結果になっているのにも関わらず。

ゆとり教育の考え方自体は僕は賛成です。ただその中身にイマイチなものがあるのと,教師や親がその教育力を持っていないことが問題です。

今の若者世代が文句を言われる筋合いはありません。それを育てた教師や親が文句を言われるべきです。

p.s.ただ,学校のテストなんて出来なくて良い,と言っているわけではありません。むしろ良い点をとれなければならないとも思います。

世の中にでると,正解なんて1つではないのです。いろんな答えから1つを選ばなければならず,それが結果正しかったかどうかなんて誰にもわからないのです。

そんな中,答えがあるテストにさえ答えられないのはやはりどうなのかな,とも思います。

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