2010年5月アーカイブ

またまた感銘を受けた記事を紹介

金融日記:マーケティング的なるものは人々をインスパイアしない - 民主党の支持率低迷から考えたこと

簡単に言うと,客や生徒に気をつかってもしょうがない,ってことなんですかね。結局気をつかってあげた客や生徒は興味がなくなったら逃げていきますからね。

「あの時あなたがこうしろっていうから,言う通りにしたのに,違うスクールにいっちゃうんですか!?この裏切り者!」

「あなたのレッスンつまんないのよ」

こんなやりとりが想像できますね。

昔ですが,スポーツクラブでリクエストを聞いたことがあったんですよ。レッスンの最後はグループわけして順番に踊るんですが,あれを止めて欲しいって言われたことがあったんです。恥ずかしいからですって。

僕は何気に「あ〜そうなんだぁ」と思って止めたんですけど,結局,そうやって言った人,来なくなってしまいました。

別にかまわないんですよ。その人にも僕についてくる義理なんてないし。都合が悪くなったのかもしれないんだし。怒っているわけではないんですが,結局そんなもんなんだなぁと思ったことを覚えています。

客や生徒には責任ってないんですよね。生徒は無責任ってよく言いますが,結局,こちら側がいかに相手を刺激するか,なんですね。刺激し続けることが出来なければ,逃げていく。それが全て。

教師の魅力は常に生徒の前にニンジンをぶらさげていられるか。これですね。

僕のしょうもないレッスンに来続けてくれているみなさんには本当に感謝しています。

ぐわし

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今日はあいにくの雨ですね。鳥取市文化センターでワークショップあるのに...人来ますかね...

さて,今月末から来月頭にかけて,指導者研修でグアムに行ってまいります。できるだけ多くのことを吸収して帰ってきますのでご理解をよろしくお願い致します。

海外は3回目ですね。今回は近めでいいですわな。3時間くらいで到着ですし。今回は移動,ホテルは基本1人なんでやや不安もありますが,まあ経験ですね。

リフレッシュも兼ねて,ただし本来の目的を忘れずに頑張ってきます。

にしても1人部屋って高いですね。通常料金から2万〜3万プラスされます。誰か一緒に行ける人がいれば1人頭の料金は安くなってたのに。

教育的な支援

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前回の記事に関連して,今回は教育について書いてみましょうか。

教育の定義は,以下の通りです。

「対象が今の位置からより高次の位置へ発達するために行われる第三者による介入行為」

もしかしたら細かいところは間違っているかもしれませんが,だいたい合っていると思います。

要するに他者(親,教師)が介入していかないとダメなわけです。よく自由教育と謳っている幼稚園などがあるらしいですが,ほとんどが放任らしく,教育ではないと言われていたのを聞いたことがあります。

んで,介入行為の具体的な方法ですが,これがまあ人によって分かれるところで,まあ基本的には「教える」なのかな〜と思っています。で,この「教える」の中にも「注意」「叱る」「諭す」「怒鳴る」「体罰」なんかがあるんでしょう。

子どもには小さいころからずーっと落ち着いて話しかけるのが良いと言われてますね。そうするとちょっとした注意でもすぐに言うことを聞く子に育つらしいです。

小さいころから怒鳴りまくっていると,怒鳴り声にしか反応しなくなるらしいですし,度を超えた体罰なんて問題外。心に傷が残るし,乱暴な子に育つかもしれません。

また「教える」にもいろいろあります。僕は大学の卒論はこれがテーマでした。もちろん数学の問題を解くという場面を想定したかなり限定的で躾けとは関係がないものでしたが。これを「支援」と読んでいました。

僕は「支援」を「教育的な支援」と「教化的な支援」の2つに分類しました。

例えば,すごろくで今数字の3のマスに止まっているとしましょう。サイコロで4の目が出て,その子が「3,4,5,6」と6のマスに止まってしまいました。

ご存知の通り,すごろくでは「4,5,6,7」と進み,7のマスで止まるのが正解です。ここで教師は次のように支援しました。

A:「出発点は数に入れるべきではない」

B:「もしサイコロが1の目を出したらどうなるの?」

Aの結果,子どもの間違ったやり方は改まるかもしれません。しかし,この場面以外で正しいやり方ができる保証はありません。

Bの場合,この問い方は効果的であり,どの子どもも出発点から一つ移動することが期待できます。また,違う場面において(例えば,サイコロの目が2だったらどうするの?)でも正しいやり方ができることが期待できます。

僕はAのような支援を「教化的な支援」,Bのような支援を「教育的な支援」と名付けました。

なかなかおもしろいでしょ?通常の育児なんかでも教育的な支援がやはり良いと思います。ですが,これは難しいんですね。これからはテクニックの問題になってきます。

だから叱り方も「そんなこと言ってはいけません!」と単純に言うのではなく,「そんなこと言ったら相手は悲しむと思うよ」って言ってやったりするのが良いのかもしれませんね。

興味があれば,僕の卒論の紀要を置いておきますので,読んでみて下さい。

ここからダウンロード

迷い

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「プロフェッショナル 仕事の流儀」っていう番組がNHKで放映されていますが,その本も出ているわけです。テレビが見れないので本で読んでいるのですが,いろいろなプロフェッショナルの話が載っていておもしろい。

プロ棋士,羽生善治さんの話ですが,「30代の半ばになった今,10代,20代のころの自分の姿を,どのように感じているのだろうか。」という質問に対して,こう答えています。

「10代のときは特にそうでしたが,怖いもの知らずというか,ただがむしゃらに進んでいたという感じでしたね。だんだん年齢を重ねていくにつれ,良いことも悪いことも積み重なってきて,そこからいろいろな葛藤が生まれるようになった気がします。どういうことかというと,何かの選択肢みたいなものは増えるんですけれど,そこに迷いとか恐れも出てくるようになったということですね。」

ものすごくわかる気がします。

羽生さんは七冠をとった後,徐々に成績が落ちていき,一時期は1冠にまで落ち込んだといいます。落ち込んだ時期はちょうどその選択肢が増えてきた時期だったのではないでしょうか。

僕もLAに行く前は,ほんとにがむしゃらに踊っていて,それに結果がついてきたりしていました。

帰国して,たくさんの経験によって,身体にも頭にもいろいろな情報が入り,それは素晴らしいことだったのですが,ダンス自体には迷いが生じていたのかもしれません。

ちょこちょこ山陰でもバトルとか出てますけど,勝ったことないですもんね。技術は確実に上達しているはずなのに...。今思えば,自分でも確実に勝ったと思えるバトルはなかったですね。僕が審査員でも自分には挙げないかもしれない,というダンスでした。

人間,常勝っていうのはほとんどなくて,常勝の時期があり,突然勝てない,暗黒の時期に入り,這い上がってこれたのならまた常勝の時期に入れるのだと思います。その暗黒の時期は「迷い」から生じているのかもしれません。

ですがそれは「成長」しているということですからね。いいんじゃないですかね。周りはなんやかんや言うかもしれませんけど。大事なのはそこから這い上がれるかどうかですね。

さあ,頑張ろう!

積んであった本を読み終えたのでつい目に入った本を買ってしまいました。

睡眠について分かりやすく書いてあります。どうしても早起きできないので...時間がもったいないですよね。

いまだに5時半起き,達成できてません。チーン。

ちなみに朝はなんぼ早起きでも5時半より早く起きるのは身体に良くないらしいです。
以下,しばらく引用。


1993年,日本にアジア太平洋地域インフルエンザ・センターが作られた。

それまでアメリカ,イギリス,オーストラリアにしかなかったセンターが日本に設置されることになったのは,なぜか。

インフルエンザ・ワクチンは,毎年,WHOの専門家会議で,データをもとに今年流行しそうなインフルエンザを決定し,それに基づいて製薬メーカーがワクチンを作っている。それまで日本はその元になるアジア各国の膨大なデータを収集しWHOに送付する仕事だけをやっていた。

担当していた根路銘国昭(ねめろくにあき)氏は,これだけの仕事をやってるのに,日本にインフルエンザ・センターがないのはおかしいとWHOに手紙を書いた。それに対する返事は
「WHOも国連の安保理と同じで第二次大戦の戦勝国で構成している。よって日本は入れない。」
というものだった。彼はさらに抗議の手紙を送ったが返事は同じ。それどころか,WHOに批判的人物として,彼と日本に対し冷淡になったという。

ここで普通の日本人ならどうするだろうか。なんとか謝罪して,今までどおりの扱いにしてもらおうと努力するか,そもそも抗議など最初からしないかもしれない。

だが根路銘氏は違った。

なんと,日本が集めていたアジアのデータを1年間,WHOに送るのをやめたのだ。インフルエンザの大半はアジアから発生するから,そのデータがないとワクチンが作れない。WHOは大騒ぎになったという。

そして翌年,根路銘氏にWHO専門家会議への招待状が来た。その会議で,日本にアジア太平洋地域のインフルエンザ・センターを作ることが決定され,彼が初代センター長に就任することになった。

こうしてインフルエンザセンター長になった根路銘氏だが,WHOはアメリカの製薬メーカーの意向を受けた学者が力を持つ世界だった。

1993年フランスで開かれた国際会議で,アメリカが新開発した生ワクチンを,まず日本で使うべしという議題があがった。日本は生ワクチンの効果には疑問をもっていて既に使わなくなっていた。根路銘氏は,「日本を実験台にして、うまくいけば各国で使うつもりだろう」と感じたという。その会議には日本の学者も数十人参加していたが誰も反対しなかった。

根路銘氏ひとりが,「日本は先進国であり、ワクチン政策に君たちの指導を必要とする国ではない」と反論した。そこでアメリカの学者に,君たちのデータをOHPで映してほしいと頼んだ。

そして日本のデータと比較すると,日本のワクチンの方が明らかに効果があるとわかり,他の学者からも「ネロメの方が正しい」と意見があがった。こうしてこの議題は流れ,日本人がモルモットにされるのを防いだ。

根路銘氏はこうも言っている。

「この会議の後,対立したアメリカの学者とすごく仲良くなった。日本人同士だとこうはいかない」

またジュネーブのWHO本部で12人の専門家によるワクチン決定の投票において,アメリカのワクチン11票,日本のワクチン1票でアメリカ製に決まった。もちろん1票は根路銘氏のものだ。根路銘氏は科学的に見てこの結果はおかしいと閉会30分のコーヒーブレイクのときに,2日間の討議で使った110カ国のデータをつき合わせてコンピュータにかけた。するとアメリカ製は日本の半分しか効果がないと出た。

彼はこの結果を見せて、居並ぶ学者たちに
「君たちは政治家か,科学者か。科学者ならこのデータをどう見る」
と問いかけた。すると議長がテーブルを2回たたいて
「私の判断で採決を取り消します。ドクターネロメが提案した日本の意見に従います」
と結果をひっくり返した。「まるで映画のようだった」と根路銘氏は言う。

まあ長々と引用しました。読んでくれた人,お疲れさまでした。

この文章からいろいろな議論ができますが,僕が注目したのは

「君たちは政治家か,科学者か。科学者ならこのデータをどう見る」

という言葉です。

政治っていうのは,本来,政策そのものの価値を議論してそれを与党と野党が議論する,というのが正しい形だと思いますし,それが国民の私たちからすれば当たり前のことです。

ただ実際は政策そのものも価値というのはどうでもよくて,いかにしたら政権をとれるか,いかにして対立政党を落とし入れるか,利権絡みのことばかり考えられていて政策そのものには政治家自身が興味がないようです。

簡単に言うと,「あの人のこと嫌いだから,あの人が言うこと嫌い」ということです。

そういう非常に幼稚な国に私たちは住んでいるのですが,それはまあ置いといて。

ダンスもそうですね。嫌いなダンサーは完全否定で身内ばかりを肯定する人ってけっこう出会います。というかダンサーの世界ってけっこうそういうの多いですね。バレエとかジャズとか特にそうです。

そういう人に会うたびに顔では取り繕って心の中では「この人は悲しい人だな」って思ってました。

人の好き嫌いはそりゃあるでしょう。人間だし。食べ物の好き嫌いと一緒だと思ってますから。

でも嫌いな人が良いこと言ったら,それは良いことなんです。嫌いな人が素晴らしいダンスを踊ったら,それは「最高!」と言ってやりましょう。身内でも下手なら下手って言ってやりましょう。

エルンフォの皆さんにも僕はそんな感じです。エルンフォの生徒より上手い人なんて山ほどいます。僕より上手い人も山ほどいます。

それでも僕は政治家より科学者でありたいと思いますね。
20100505_01.jpg三田プレミアムアウトレットモールに行きました。

中国自動車道はめっちゃ空いてたので早く着いてしまった。

モールの雰囲気はLAを思い出しました。

あんまり好きなブランドが入ってなかったのであまり買い物しなかったんですが,でも安かったですね。

20100505_02.jpgとりあえずadidasショップでスタンスミス購入。ダンス用に。

ほんでハッシュパピーのショップもあったので入ってみました。ハッシュパピーとは紳士靴とかのブランドですが,ロッカー,ポッパー御用達の靴でもあります。

20100505_03.jpg合ってます?とりあえず安かったし,かっこよかったので買ってみましたが...

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