教育的な支援

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前回の記事に関連して,今回は教育について書いてみましょうか。

教育の定義は,以下の通りです。

「対象が今の位置からより高次の位置へ発達するために行われる第三者による介入行為」

もしかしたら細かいところは間違っているかもしれませんが,だいたい合っていると思います。

要するに他者(親,教師)が介入していかないとダメなわけです。よく自由教育と謳っている幼稚園などがあるらしいですが,ほとんどが放任らしく,教育ではないと言われていたのを聞いたことがあります。

んで,介入行為の具体的な方法ですが,これがまあ人によって分かれるところで,まあ基本的には「教える」なのかな〜と思っています。で,この「教える」の中にも「注意」「叱る」「諭す」「怒鳴る」「体罰」なんかがあるんでしょう。

子どもには小さいころからずーっと落ち着いて話しかけるのが良いと言われてますね。そうするとちょっとした注意でもすぐに言うことを聞く子に育つらしいです。

小さいころから怒鳴りまくっていると,怒鳴り声にしか反応しなくなるらしいですし,度を超えた体罰なんて問題外。心に傷が残るし,乱暴な子に育つかもしれません。

また「教える」にもいろいろあります。僕は大学の卒論はこれがテーマでした。もちろん数学の問題を解くという場面を想定したかなり限定的で躾けとは関係がないものでしたが。これを「支援」と読んでいました。

僕は「支援」を「教育的な支援」と「教化的な支援」の2つに分類しました。

例えば,すごろくで今数字の3のマスに止まっているとしましょう。サイコロで4の目が出て,その子が「3,4,5,6」と6のマスに止まってしまいました。

ご存知の通り,すごろくでは「4,5,6,7」と進み,7のマスで止まるのが正解です。ここで教師は次のように支援しました。

A:「出発点は数に入れるべきではない」

B:「もしサイコロが1の目を出したらどうなるの?」

Aの結果,子どもの間違ったやり方は改まるかもしれません。しかし,この場面以外で正しいやり方ができる保証はありません。

Bの場合,この問い方は効果的であり,どの子どもも出発点から一つ移動することが期待できます。また,違う場面において(例えば,サイコロの目が2だったらどうするの?)でも正しいやり方ができることが期待できます。

僕はAのような支援を「教化的な支援」,Bのような支援を「教育的な支援」と名付けました。

なかなかおもしろいでしょ?通常の育児なんかでも教育的な支援がやはり良いと思います。ですが,これは難しいんですね。これからはテクニックの問題になってきます。

だから叱り方も「そんなこと言ってはいけません!」と単純に言うのではなく,「そんなこと言ったら相手は悲しむと思うよ」って言ってやったりするのが良いのかもしれませんね。

興味があれば,僕の卒論の紀要を置いておきますので,読んでみて下さい。

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