考察の最近のブログ記事
こういう仕事をしていると褒められたり驚かれたりすることが多いです。
アメリカに行ったこと,個人事業主として仕事をしていること,スタジオを作ったことなどなど...。
「すごいですね」ってたくさん言われるんですけど,実は本人はそうは思っていません。
理由は2つありまして,まず1つは,もっとすごい人が世の中にはたくさんいること。上を見たらキリがありません。
2つ目は,実は僕はモラトリアム人間なんじゃないかと思っていることです。
「ダンスで食べていこう」と決めたのは,大学院入試の2週間前。その足で教授の研究室にその旨を伝えに行きました。
はっきり言って,入試の勉強なんて一切していませんでした。僕はそれから逃げたのかもしれない,と今でもたまに思います。
同期の仲間は,教員採用試験だったり,就職活動だったり,大学生としてやるべきことをしっかりしていました。僕はそれすらやっていません。まだ仕事をしたくないという考えの表れだったのかもしれません。
仕事をしたくなかったために,ダンスを選んだのかもしれません。モラトリアム人間。
この思いはまだまだ続きそうです。
子どもたちの「考える力」がないな〜って思います。いや,実は子どもたちだけでなく,大人もなのですが。
例えば,算数の文章題を解こうとしているとき,すぐに「これって足し算でやるんですか?それもとかけ算?」と聞いてきます。考えているようで完全に思考が停止しています。
ビデオを観た感想を理由をつけて書きなさい,というと,「おもしろかった」とだけしか書かれていない。「理由は?」と聞くと「ない」と言う。
パソコンの操作を教えていても,どんどん聞いてくる。「ここはどうやる?ここは?」クリック一つのことでも聞いてくる。そしてメモもとらないから,同じことをまた聞く。
ダンスもちょっと難しい動きをしたら思考停止。ちーんってなる。
うーん,僕からすれば「ちょっとは自分で考えたら」って思うときがある。この差はなんなんだろうか。
まあ単純に「やる気のなさ」「試そうとする力のなさ」「やり抜く力のなさ」だと思いますが,どうしてこういう風になるのかと考えたら,「与えられすぎ」なんじゃないかな,と思います。
「欲しいものはなんでも手に入る」,「やりたいことはなんでもやらせてもらえる」,「努力しなくても食べていける」,親や先生が子どもに与えすぎる,子どものケツを大人が拭くことが,単純に子どもの甘えになっているんだと思います。
大学時代の恩師がこう言っていました。「『こんな料理が食べたい』と言うと,材料の調達から調理,配膳,下手したら食べさしてくれる。これが高校までの教育。『こんな料理が食べたい』と言うと,『あそこにレシピがあるよ。材料はあそこにあるよ』とまでは教えてくれるのが大学の教育」
深く感銘を受けました。僕はこんな教育がしたい,と思います。
でも僕がやりたい教え方をするとだいたい反感をかいます。「ちゃんと教えてよ」と。
これは与えられることに慣れてしまっている証拠なのです。
バスの中でずーっと落ち着き無く騒いでいた子どもに母親が 「運転手さんに怒られるから静かにしなさい」 って言ったところ,運転手さんは車内放送のマイクで 「運転手さんは怒っていませんよ。お母さん自分で叱ってあげてください」と。乗客皆失笑でした。
という話が2ちゃんねるでありました。
上記の叱り方だと,バスの運転手が別に騒いでも良いと言ったらアウト,子どもからすればバスじゃなかったら騒いでも良いという認識になります。
叱り方の代表とすれば「公共の場では騒がしいことが不快に思う人がいるから騒いではいけない」という方向で叱ればよいと思います。言い方などはその子に合わせて,今までの経験でいろいろ試してみれば良いと思うのですが,叱る意味合いが違うとどんなに厳しく言っても無意味です。
僕は子どもたちが真面目にレッスンしなければ叱ります。保護者の方々はどのように叱っているのでしょうか?
「先生が怒るから真面目にしなさい」という叱り方ならダメですね。もし僕がその子のことを放棄したらどうするのでしょうか。「別に先生怒らないもん」って言われたらオシマイです。
お母さん(お父さん)自身が許さないという態度が必要です。
「先生が一生懸命教えてくれてるのに真面目にしないっていうのはお母さんそういうの嫌いだな」,「真面目にできないならもう連れて行かない」など,とにかく親が許さないという態度。これが大切。
そもそも躾(しつけ)は親がするもの。勉強は先生が教えるもの。僕はダンスを教えるのが仕事。ダンスを通して人生を教えるのが仕事。
ダンススクールでないと培われない人間としての価値(人から習うことの礼儀,仲間と同じ目標に向かって努力すること,など)を教えたいのですが,あいさつなど簡単すぎることができなくて,そんな価値も技術も子どもに入っていくわけがありません。
「先生にはダンスは教えて欲しいが,躾までは求めていない」という態度の方が親として当然の態度だと思います。
保護者の方はまず,自分の子どもをどんな子にしたいのかを考えてください。僕なら「将来メシを食べれる人間」という漠然とした目標があります。これは各家庭で違うと思います。その中で具体的対策というのがいくつか出てくると思います。
「あいさつが出来ないと仕事はもらえないだろう」と考えたら,自然に「子どもにあいさつをさせよう」という具体策が出てきます。
「なんにでも自分からチャレンジできないといけないだろう」と考えたら「いろんなことに挑戦させよう」という具体策になるかもしれません。
いくつか出てきたらそれからさらに具体的なことに落としていきます。そうすると必然的に親がすべきこと,子どもにさせなければならないこと,っていうのは出てくるはずです。
一番最初の「子どもをどんな子にしたいのか」という信念がなければ,行き当たりばったりな教育になって,子どもは「言ってることが矛盾してるなぁ」と,口に出さないまでも思っています。そうなると子どもはどんどん言うことを聞かなくなってきます。
「先生が怒るからちゃんとあいさつしなさい」という叱り方で良いと思いますか?それではLNFOを辞めたあとはどうやって叱りますか?今までは「先生が怒るから〜」と叱っていたのに急に違う理由で叱りますか?信念がなければこういう事態が起こるのです。
まずは信念を持ちましょう。 その後は面倒くさがらずにやるだけです。
オカザイルやってましたね。今回もおもしろかったです。
今回はオファーシリーズではなく,ダイエット企画の延長?だったようですが,相変わらず,エグザイルの身体はすごいですね。HIROさんとか40代なのにあのガタイ。黒いし。上戸彩と結婚するし。
ダンスやってる人にはけっこう軽視されがちですが,フィジカルはダンスにとってもかなり重要です。
スポーツでは勝ち負けがはっきりしてるからみんな一生懸命筋トレとか走り込みするのですが,ダンスって,多少スタミナがなくても,筋力がなくても,身体がかたくても踊れてしまうんですね。
多少ミスしてもスタミナ切れでへばっても時間は過ぎていき,ショーは必ず幕を閉じます。観客も拍手してれます。本人たちも気持ち良いから満足して舞台を降ります。
みんな振りの練習はするけど,フィジカルトレーニングはしない。おそらくほとんどのダンス愛好者がこんな感じだと思います。
僕もショーの時,スタミナ切れでグダグダな感じで終わったときはかなり悔しい思いをしてました。
スタミナなくて倒れたってことはないですけど,疲れたときにはベストなパフォーマンスはできなくなります。例えば,止まらなければならないところで止まれなかったり,伸ばさなければならないところを伸ばしきれなかったり。
スタミナがあれば,もっと余裕で踊れてるはずなんです。例えば自分のスタミナが80だとして,ダンスも80のパワーで踊らなければならないとき,余裕がないですよね。
それが自分のスタミナが100になれば,80のパワーのダンスは余裕が出るわけです。その余裕でちょっとタメたり,遊んでみたり。同じ80のパワーのダンスでも80の人と100の人が踊るのは違うんですね。
昔の漫画で「今のフルパワーが2割で出せるようになる」みたいなセリフを思い出しました。なんの漫画かわかったらコメントしてください。
フィジカルはダンスにも重要です。スタミナだけでなく,筋力,柔軟性,可動域,細かいボディコントロール,などなど全て含めて重要です。振りばっかり練習してもダメです。
僕も約4年前は体脂肪率10%切ってたんですけどね。体脂肪率だけはエグザイル。頑張って戻しますよ。
インストラクターの方なら一度は悩んだことがあるかと思います。
1つのクラスにはレベルを設定しているけど,全く同じレベルの人がいるわけではありません。体験として,未経験の人がいる場合ももちろんありますし。
振付も振り渡しが始まったばかりならいいけど,全て渡し終わった時期に初心者の方が入る場合も多々あります。
レベルが違う人が混在するクラスで誰に合わせれば良いのか。
(1)できない人に合わせる
基本的にクラスの進行はゆっくりになります。できる人にとっても復習になります。
欠点としては,いくらゆっくりしてもできない人もいるということ,復習になると言っても正直めんどくさいと思っている人がいるということ,できない人にばかり合わせていると,できない人はできるまで先生が手取り足取り教えてくれると思い,甘えがでること,などなど。
(2)できる人に合わせる
基本的にクラスの進行は速くなります。いわゆる初心者にはかなり厳しいクラスになるでしょう。劣等感や疎外感など出ると思います。ですので,ビジネス的に,心情的にはあまりよろしくありません。
しかし,初心者だろうと,本気でダンスをやりたい人や好きな人はこれでも残っていきます。家に帰って復習してやってきて,できないことを克服してきます。
さあ,皆さんはどちらが正解だと思いますか?
今までは指導者としての立場から書きましたが,では,生徒の立場から書いてみましょう。
僕も研修としてレッスンに行きます。ワークショップ形式のこともありますし,あるスクールのレッスンに飛び入りに近い形で参加することもあります。
僕の経験上,いわゆる新入りとしての僕に合わされたことは一度もありません。
だいたい参加するときは,振付がかなり進んでいる状態です。それでも最初から丁寧に教えられたことはありません。「とりあえずついてきて。できないところは気にしなくて良いから」という感じです。他のみんなは踊れますが僕は踊れません。
それでも僕は何が何でも,一つでも何かを得て帰りたいと思っているので,かなり集中していると思います。教えられた振付はもちろん,教えられてないところもできるかぎり見て覚えます。
LAの時は,本当に振付が覚えられなくて,それでもどんどん進んでいきます。寮に帰って特訓です。まあLAはプロ養成なので,当然と言えば当然なのですが。
さあさあ,結局,どちらが正解なのでしょうか?
答えは「どちらでもない。その時その時で判断する」だと思います。いわゆるマニュアルなんてものはないのです。一応クラスの進行のマニュアルなどは学べますが,人間を相手にしているわけですから,絶対に上手く行くマニュアルなんて存在しないのです。
僕たちはそれを「LIVE」と呼んでいます。いわゆるテレビで言うところの「生放送」なわけです。
時には上級者に我慢してもらわなければならないし,時には初心者に我慢してもらわなければならない。基本ばっかりしなければならない場合だってあるし,振付ばっかりガンガンやった方が良い場合もあるし。それはダメと言わなければならない場合もあれば,絶対にダメと言ってはいけない場合もある。
生徒の立場からも書きましたが,基本的に先生が合わせるものではなく,生徒が合わせるものだと思います。自分に合うレッスンなんて正直そうそう無いと思います。「この先生は自分には合わない」とか言ってる人はおそらく上手くなりません。自分に合うということは成長が少ないということです。
だから周りの目は気にせずに,できないことはできないと認めて,それを劣等感と感じないことです。できなくて当たり前なんですから。
とは言ってもいろんな人がいますからね。同じアドバイスをしてもポジティブに捉える人とネガティブに捉える人。こちらに悪意がなくても,ネガティブに捉えられたら終わりですからね。だから指導は難しい。
「できない」という言葉は,潜在的に「やりたくない」という意味らしいですね。確かに,今までの経験からしてもそうかもしれません。
子どもは特に言います。「できん〜」って言います。時には普通に「やだ〜」と言います。僕はそれを許しましょう。それも子ども自身の意思の表れですから。
ちょっと年配の方が「できません〜」と愛嬌良く言うのも許しましょう。仕方ないし,皆さんはなんだかんだでやり遂げますから。
ただ,酸いも甘いもわかるような年になってまでもその言葉を言ってるのが,あんまり好きじゃありません。
大抵そういう人はその言葉を発した途端,感覚を全て遮断します。集中力が切れます。やりたくないんだから。時には舐めた態度をとる人もいます。教え方が悪いとかね。僕はそれが感じとれたらその人に教えることを避けます。何を言っても無駄ですから。
おそらく自分を守るための言葉だと思います。照れ隠しとでも言うのでしょうか。できないことを少しでも他人に悟られたくないというか。本当はできるんだけどという意味なのか。
教えている立場からすれば,できないことはわかってるし,できないと思ってるから教えているわけで,いちいちそんなこと聞きたくないのです。はっきり言ってテンションが下がる言葉です。
ほとんどの人は言いません。できないことがでてくると,目を見開いて,それこそ身を乗り出すように集中する人がほとんどです。
僕の経験上,小学生1年生くらいはまだ言いますが,2年生,3年生になると言わなくなります。できないことが出てくると笑ってます。しかし,目は真剣です。「先生,こうですか!?」「先生見てください!」としつこいくらい言ってきます。
僕としては,それなりの経験があってそれなりに踊れるけど,一生懸命教えている人に向かって「できません」という人よりは,上手く踊れなくてもでもこういう子を評価してあげたいと思っています。
これも言葉を言い変えれば全然違います。素直に「ここ教えてください」とか「難しいっすね」という言葉は「ポジティブ」です。「できません」と同じ意味なのに不思議ですね。
と最近思いますね。
なんでこういうことを思ったかと言いますと「ダンスがどんどん上手くなっていく人と,なかなか伸びない人の違いはなんなんだろう」ということを考えていたのですが,伸びる人には「目標」があり,伸びない人には「目標」があるようでない,ということに気付きました。
「目標」があるということは,その目標に到達するためにどうすれば良いのかという「問題意識」があるのだと思います。
「目標」があるようでない人は,目指すモノはあるのでしょうが,それに到達するための努力が足りない人なのかな。とりあえず先生やお母さんの言うことを聞いていれば良いという感覚(実際は聞いてないんですけどね)。
問題意識がないと,何を学んでも身になりません。右から左に流れていきます。先生が「これは大事だ」と黒板に赤文字で書いても,ノートには書くでしょうが,頭に入っていない。問題意識がない生徒にとっては,「何でこんなことやってるんだろう」という感じだと思います。
僕は大学4年生のときに,ダンスの道を進むことに決めて「ホームページ作らなきゃ」と思いました。ダンススクールのサイトですね。
それで卒論を書き終えたあたりからウェブサイトをつくる勉強を独学で始めました。本当に試行錯誤で夜更かししながら勉強しました。初めてできたやつはソースコードはかなり無茶苦茶で,それをだんだんブラッシュアップしていって今のHTMLと外部CSSの形になりました(現在ではかなり遅れているサイトですが...)。
ただウェブサイトを作る授業は,大学1年生のころに受けていたのです。ただそのときは必要性が欠けていたので,記憶に残った知識はゼロです。このころにはウェブサイトを作らなければという目標と問題意識に欠けていたのだと思います。
ダンスを習わせているのになかなか上手くならない,とヤキモキしている親御さん,おそらく子どもたちはダンスが上手くなりたいという気持ちより,カラダ動かすのが楽しいとか,友達といるのが楽しいとか,ちょっと目標がずれているのだと思います。
ただそれを否定してもダメです。「目標をもちなさい」と言われて,持つ子はいませんから。今のままで良しとするか,気長に待ってみるか,別の道を探してみても良いと思います。
目標があるのに,それに向かう努力をしようとしない子にはどうすれば良いのか,ということですが,それは親や教師が教えてあげればよいのです。
目標はなんでも良いです。「カズみたいなサッカー選手になりたい」という夢なら「じゃあいっぱい練習しなきゃね。あとカズはブラジルに一人で留学してたから外国語が喋れないと。一人だから掃除も洗濯できなきゃいけないし,お金の計算もできたほうが良いよね」と教えてやると,子どもは勝手に練習もするし,勉強もすると思います。
「勉強しなさい」「練習しなさい」と言葉で言うとやる気をなくしてしまいますが,こういう言い方だと効果あります(ただし,小学生低学年くらいでないと効果ないかも)。
3分のルーティーンをチームで踊ろうと思ったら,3分のルーティーンを1人で踊れなければならない。
3分のルーティンを踊ろうと思ったら,8×8のルーティーンを踊れなければならない。
8×8のルーティーンを踊ろうと思ったら,8×1のルーティーンを踊れなければならない。
8×1のルーティーンを踊ろうと思ったら,1つの動きが出来なければならない。
1つの動きが出来るためには,1カウントのリズムをとれなければならない。
ということはダンスとして一番最小単位の動きをたくさん練習することが,ダンスとして最大単位である作品を踊りきることに繋がるということである。
しかし,このことを理解している人は非常に少ない。口で言われてわかっても,実際実行できる人は少ない。
まあ仕方ないです。地味ですもんね。基礎練っていうのは。やっぱり派手な振付をメインに練習したいですよね。
仕方ないです。本当に。人の心は口で言ってもそんなに変わりません。後悔させるしかありません。長い年月をかけて「あの時さぼってなかったら...」って思わせるしかないです。
人は恵まれていると,執着心がなくなります。子どもなんか特にそうで,やりたいことを全てやらせてもらっていると,真面目にやりません。
逆に飢餓感がある人は,執着心があります。ダンスがやりたくても,習うところがなかった日本ダンス創世記の大御所ダンサーの方々が上手いのは,そういう飢餓感からだと思います。
フラッシュダンスのCMで一瞬写ったバックスピンを録画して(しかもCMだからいつ流れるかわからないのに),それを見様見真似で必死に練習した先輩ダンサーたちは尊敬に値します。
と,また脱線してしまいました。技術論を語りたかったのに,精神論になってました。
しかし,結局,ダンスが上手い人と下手な人の違いはダンスに対する考え方なのです。
基本的にはチームで決めることだと思います。個性的にやりたいなら個性的にやれば良いと思うし,振付を揃えたいなら揃えれば良いし,技術より楽しくやりたいなら楽しくやれば良し。
そこは他人が口を出すもんではないですから。
しかし,ちょっと真面目にしたい,上手くなりたい人は話が別です。例えば,コンテストに勝ちたいとか,けっこう大きい舞台で踊るとか。人より多少真面目に,多く練習する必要があります。
楽しくやってるだけのチームが,真剣なチームばっかりの中でコンテストに出場したり,大舞台で踊るというのは,かなり浮きます。温度差を感じます。逆に言うと,浮いてる感がなかったり,温度差が感じられなかったら大丈夫。あなたは真面目にやってると思います。
具体的にはどうすれば良いのかと言うと,練習することです。ただ僕が言いたいのはチーム練習ではなく,個人練習です。
集団(チーム)は個人の集まりなので,個人のレベルアップがチームのレベルアップに即つながります。逆に個人練習をせず,個人のレベルアップがないのに,チーム練習ばかり練習していてもチームはそんなに良くなりません。
スポーツとか,もろにそうだと思うのです。野球,サッカー,バスケなどチーム競技ですが,各個人の技術が高かったら,強いチームが出来やすいと思っています。でもダンスやってる人ってその意識がかなり低い感じがしますね。普段練習してないけど,イベント出演が決まったら練習しだすとか。振付は覚えられるだろうし,チーム練習で踊る感じにも慣れてはくるでしょうが,良いチームになるかどうかというと,あんまり良い方に想像できません。
僕はこれを「ONE FOR ALL」の精神だと思っています。「一人はみんなのために」の精神です。この精神がダンサーはかなり低いと思います。「ALL FOR ONE」の精神はけっこうみんなもってるんですけど,それに甘えて個人の考え方はかなり幼稚ですね。
最近「スラムダンク」を奥さんの実家から貰ってきて,全巻読んだのですが,初心者の桜木花道がチームの為に,レイアップ,リバウンド,ゴール下シュートを覚え,合宿でシュート練習2万本と,努力を続けてきました。本人には「チームの為に」という強い意識があったかどうかは謎ですが,「どうすればチームが勝てるのか」「自分は何をすれば良いのか」というのはすごく考えていました。スラムダンクはかなりモチベーションをあげてくれます。
ダンサーにもこういう意識が芽生えて欲しいと思います。
個人の能力をあげること,それがチームで踊る為に一番大切なことだと,今は考えています。
インプロとは,インプロビゼーションの略で,即興のことです。言い換えればアドリブ?要するに,ルーティーンをこなすんでなくて,かかった音楽に合わせて踊るという,ダンスの最高の楽しみ方です。
いろんなジャンルのインプロをやってますが,昨日はロッカーばっかだったので,ロッキングのサークルをやりました。3人だけでw。1時間ぶっ通し!休憩は曲を替えるときのみ。
僕は最高に楽しかったです。他の2人もだんだん良くなっていきました。僕も勉強になりました。
しかし,このレッスン,最初は10人近くいたのに,だんだん減って,ついには2〜3人へ。まあつまらんかったんでしょうね。
生徒にとって「やりたいこと」はルーティーンなんでしょうね。インプロはやりたくないからやらない。
まあやりたくないことをやりたいことって嘘つく必要は全くないので,それは良いのですが,本当に上手くなりたければやりたくなくても,「やるべきこと」はやらなけやいけませんわな。
ソロでインプロ踊れれば,ルーティーンなんか楽勝。でも逆はないですよ。無理。専用のトレーニングしてないんですから。
僕の中では,やっぱりソロが踊れる人が上手い人,特にバトルに勝てる人が上手い人って基準になりつつなります。とりあえず僕自身は今年度中に何かしらのバトルで入賞を目標にします。
まあ今回のバラエティではちょっとがっかりしました。来月からはワッキングします。
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